高校で国語を教えています。担当は現代文と古典、それから総合的な探究の時間も受け持っています。教員歴は12年になります。
Claude Code を使い始めたのは、1年ほど前のことです。最初は正直、「自分には関係ない話だ」と思っていました。プログラミングや業務自動化のツールという印象があって、国語教師がどう使うのかイメージが湧かなかった。使っているのは理系の人や、ITに詳しい人だという先入観もありました。
使い始めたきっかけは、同僚の理科教師でした。「実験レポートのフィードバックをこれで書いている」と聞いて、「フィードバックを書く道具として使えるのか」と気づいたのが入口でした。その夜、自分のパソコンで試してみると、思ったよりずっとシンプルに使えた。「なんだ、難しくないじゃないか」というのが最初の印象です。
この1年間で、授業の準備のやり方がずいぶん変わりました。良くなった部分も、予想と違った部分も、正直に書いておこうと思います。国語の教師という視点から書きますが、他の教科の先生や、「人に何かを教える仕事」「人に伝える仕事」をしている方に読んでもらえると嬉しいです。
授業準備のどこに時間がかかっていたか
Claude Code を使う前の状態を正確に把握しておきたいので、自分の授業準備の「時間の使い方」を振り返ります。週に担当する授業は18コマ。一つの授業の準備にかかる時間は、教材研究から板書計画・ワークシート作成まで含めると平均1〜2時間でした。週の合計にすると18〜36時間。それ以外に採点・フィードバック・保護者対応・校務分掌の仕事が加わります。
残業は週に10時間を超えることも珍しくなかった。教師の長時間労働は社会問題として語られますが、その中で「減らせる部分」と「減らせない部分」があります。Claude Code が入ってくることで変わったのは、その前者の部分でした。
特に時間がかかっていたのは、大きく三つです。
一つ目は、教材研究です。教科書の文章を「どの角度から読ませるか」「生徒にとって何が難しいか」「どの問いが考えを深めるか」を考える作業です。これは純粋に知的な作業で、好きな時間でもありますが、気づくと2時間経っていたということもあります。一つの教材を掘り下げれば掘り下げるほど時間がかかる構造です。
二つ目は、ワークシートの作成です。授業ごとに生徒が書き込むワークシートを、毎回ゼロから作っていました。問いの設計、スペースの配分、レイアウト——これが意外と時間を取ります。「良い問い」を一つ作るだけで30分かかることもある。
三つ目は、評価のフィードバックです。生徒が書いたレポートや作文に、一人ひとりコメントをつける作業。クラスに35人いると、一人あたり5分かけても3時間近くかかります。しかも、授業の合間や放課後のわずかな時間を使って少しずつ進めるため、集中できず時間効率が悪くなりがちです。
Claude Code が最初に変えてくれたのは、この三つ目でした。
フィードバックコメントの変化:量から質へ
生徒のレポートを読んで、コメントを考えて、言葉を選んで書く——これは教師としてとても大事な仕事だと思っています。でも35人分を一夜でこなす疲労感の中で、どうしても後半になるほどコメントが短く・薄くなっていく現実がありました。最初の5人は丁寧に書けても、30人目・35人目になると「良く書けています」「もう少し具体性を」という二行で終わることも。
試してみたのは、生徒のレポート本文をそのまま Claude Code に貼り付けて、「高校1年生向けに、良い点と改善点を具体的に指摘するフィードバックコメントを書いてほしい。200字程度で」と指示することでした。
出てきたコメントは、そのまま使えるレベルではありませんでした。「表現が一般的すぎる」「この生徒固有の良さが反映されていない」という物足りなさがあります。でも「フィードバックの骨格」としては十分で、そこに自分の観察——「この生徒はいつも比喩が面白い」「先週から文章のリズムが変わってきた」——を加えることで、以前より良いコメントが短時間で書けるようになりました。
驚いたのは、Claude Code が「この論の展開の弱さ」を言語化してくれることです。「結論が先に来ているため、読者が論証を追いかける前に答えを知ってしまう。論の過程を見せる書き方にすると、説得力が増す」といった指摘は、自分が感覚でわかっていたことを的確に言葉にしてくれていました。
具体的な変化として、フィードバック作業の時間が以前の3分の2程度になりました。ただ、量より質の変化の方が体感として大きい。35人目のコメントが1人目と同じ熱量で書けるようになった——これが一番の変化です。「後半の生徒に雑なコメントをしてしまった」という罪悪感が減ったことは、精神的にも楽になりました。
ワークシート作成が変わった:叩き台の価値
ワークシートの作成も、Claude Code を使うようになってから変わりました。以前は、「今日の授業のテーマはこれで、こんな問いを立てたい」と考えながら、Word でゼロから作っていました。問いの言葉選びに時間がかかることも多かった。
今は、「この文章を高校2年生に読ませます。主なテーマは『自己と他者の関係』で、グループディスカッションに繋げたい。問いを3つ作ってほしい」というように Claude Code に指示します。出てきた3問を見て、そのまま使うのではなく、「この問いは曖昧すぎる」「この問いは面白い、もっと深められる」と判断しながら、自分の意図に合うよう修正していきます。
ゼロから作るより、叩き台があった方が速い。これはワークシートに限らず、あらゆる「作成」作業に言えることです。「自分は何が好きで何が嫌いか」を決めるのは、最初から作るより、見て判断する方がずっと速い。Claude Code が叩き台を提供してくれることで、自分の思考が「判断モード」に切り替わります。
また、Claude Code に問い候補を出してもらうことで、「自分では思いつかなかった切り口」と出会うことがあります。「あ、そこから問えるのか」という気づきが、ワークシートの質を上げることもあります。
教材研究への使い方:試行錯誤の1年間
教材研究への応用は、最初からうまくいったわけではありませんでした。むしろ、試行錯誤の連続でした。うまくいった使い方と、うまくいかなかった使い方の両方を記録しておきます。
最初に試したのは、授業で扱う評論文を Claude Code に渡して、「この文章の論の構造を整理して」と依頼することでした。結果は良くも悪くも「そのまま」でした。文章の論理構造は正確に整理されましたが、それは自分でも読めばわかることです。「授業でどう扱うか」という視点は、Claude Code には出せない。「テキストを分析する」と「このテキストを使って何を教えるか」は、まったく別の問いです。
少し使い方を変えて、「この文章を高校2年生に読ませるとき、生徒がつまずきやすいと思われる箇所を挙げて、その理由を説明して」と指示してみました。これは有益でした。
「生徒のつまずき予測」という使い方
授業設計で重要なのは、「生徒がどこでつまずくか」を事前に予測することです。経験のある教師はこれを直感でやっていますが、その直感が「自分が学生だったときの記憶」や「過去のクラスの傾向」に引きずられることもあります。Claude Code に聞くと、また違う角度からの指摘が来ることがあって、「自分の視野の外」を補ってくれる感覚があります。
たとえば村上春樹の短編を使った授業で試したとき、Claude Code は「語り手の視点がたびたびずれることに気づかない生徒が多い可能性がある。この文体の特徴に意識的に触れることで、読解の精度が上がる」と指摘しました。これは自分も感じていたことでしたが、加えて「接続詞の使い方が独特で、段落間の論理的つながりを読もうとすると逆に混乱する可能性がある」という点も挙げました。後者は、私がそれほど意識していなかった視点でした。
授業当日、実際にその接続詞の部分で生徒が「ここはどういう意味ですか」と質問してくる場面があって、「ああ、これか」と思いました。完璧に予測できたわけではありませんが、事前に意識できていたことで対応がスムーズになりました。
教材研究のパートナーとして Claude Code を使う場合、「自分の代わりに考えてもらう」のではなく、「自分の思考の死角を補う」という使い方が最も機能します。完全な代替ではなく、補完として位置づけることが大事です。
探究学習の授業設計への応用
総合的な探究の時間は、教師にとって設計が難しい授業です。教科書がない、正解がない、生徒のテーマがバラバラ——という状況で、どう授業を構成するかは毎回悩みます。学校によっては「やり方の手引き」があるとはいえ、実際の授業をどう動かすかは教師の裁量が大きい。
ここでも Claude Code が助けになりました。「高校2年生15人が、それぞれ異なるテーマで探究活動をしています。今日の授業では、全員に共通して役立つ『問いの立て方』を教えたい。45分の授業構成を考えてほしい。導入・展開・まとめの流れで、グループワークを含めて」という指示です。
出てきた構成案は、そのまま使えるものではなかったのですが、「こういう流れはどうだろう」という発想のきっかけになりました。「自分一人で白紙から考えるより、たたき台があって考える方が速い」というのは、授業設計にも当てはまります。さらに「こういう場合はどうする?」という問いを重ねていくことで、授業設計が対話形式で深まっていく感覚がありました。
また、探究学習では「生徒の問いを洗練させる」という場面があります。生徒が「スマホの使いすぎは良くないのか?」という問いを立てたとき、それをより深い探究に繋がる問いに変えるための助言をするのが教師の役割です。このような場面でも、「この問いをより具体的・探究可能な問いに変えるにはどうすれば良いか」を Claude Code に相談することで、自分のアドバイスが豊かになりました。
国語教師として感じた「限界」も正直に書く
良いことばかりを書いても意味がないので、うまくいかなかったことも書きます。
国語教師として最も核心にある仕事の一つが、「文章を読む」ことです。読んで、感じて、解釈して、その解釈を言葉にする——この過程に、教育としての意味があります。Claude Code はこの「読む経験」の代替にはなりません。
ある授業で、芥川龍之介の「羅生門」を扱ったとき、試しに「この小説の主人公が最終的に悪を選ぶ動機を、現代の倫理観から分析して」と Claude Code に聞いてみました。返ってきた分析は、的確でした。論理的にも整理されていた。でも、それを授業で生徒に見せることはしませんでした。「考える前に答えが来る」状態は、国語教育として正反対だからです。
文学の授業では、「よくわからない」という状態の中に、しばらく留まることが大事です。「どういう意味だろう」「この人物は何を考えているのだろう」という問いを抱えながら、友達と話したり、自分で書いたりする過程で、読む力が育まれていきます。Claude Code はその「留まる時間」を奪う可能性があります。
生徒に使わせることへの慎重さ
生徒に Claude Code を使わせるかどうか、今でも迷っています。
探究学習のレポート作成で「参考にしてもいい」と伝えたことがあります。結果として、いくつかのレポートに「Claude Code が書いたと思われる文体」が混じっていました。内容は悪くないのですが、生徒自身の言葉ではない。具体的には、「〜と考えられる」「〜という観点から見ると」という表現が多用されていたり、論の展開が教科書的すぎたりしました。
この問題に簡単な答えはありません。「使うな」と言っても使うでしょうし、使い方を教えないまま禁止するのも時代と逆行している気がします。今は「下書きに使ってもいいが、最終的な文章は自分の言葉に直してから提出する」というルールで試しています。このルールをどう評価に反映するか、まだ方法が確立できていません。
教育の現場でのAI利用については、学校ごと・教師ごとに対応が異なっている状況で、共通のガイドラインが求められていると感じます。
「評価する側」としての悩み
もう一つの悩みは、評価です。生徒の文章を読んで「これは本当にこの生徒が書いたものか」と疑う場面が増えました。以前はなかった疑いです。
ただ、よく考えると「AIが書いたかどうか」を評価軸にすること自体、教育として本質的なのかという疑問もあります。大事なのは「生徒がこの学習を通じて何を考えたか」であって、道具の問題ではないはずです。でも、AIが代わりに「考えてしまった」なら、それは問題になる。「考えたこと」と「書いたこと」を切り離して評価する方法論が必要かもしれませんが、具体的な手段はまだ見えていません。
口頭での発表やプレゼンテーションに評価の比重を移す、という方向性は一つの答えかもしれません。話すことは、書くことよりAIが代わりにできない部分が多い。国語の評価においても、「書く」以外の方法を充実させることが、AI時代への現実的な適応かもしれないと考えています。
「教える仕事」とAIの関係について、今考えていること
教師の仕事は、知識を伝えることではないと思っています。知識はネットで調べれば出てくる。AIに聞けばもっと詳しく出てくる。それでも教師が必要とされるとしたら、何のためか。
「この生徒が、今この瞬間、何につまずいているか」を見てあげること——と私は考えています。授業中の表情、発言の仕方、書いてきた文章のトーン——これらから読み取れるものが、教育の核心にある気がします。AIはこの「個別の観察」を代替できません。
Claude Code は、準備の負担を減らしてくれました。余った時間を、生徒を「見る」ことに使えるようになりました。授業の密度は、むしろ上がっています。少なくとも自分の感覚としては、そうです。
一方で、Claude Code が教師の仕事全体を楽にしてくれるかというと、そうではありません。楽になったのは「事務的・反復的な作業」の部分で、「目の前の生徒と向き合う」部分の負荷は変わっていません。でもそれでいい、と思っています。軽くなってほしい部分が軽くなったのなら、それは正しい使い方です。
教師同士での情報共有の難しさ
Claude Code を使っていることを、職員室で積極的に話しているかというと、そうではありません。「AIを使って仕事している」と言うと、「怠けているのでは」という目で見られることへの懸念があります。
同じ悩みを持っている先生が他にもいると思いますが、情報共有の場がなかなかありません。授業での活用、生徒への対応、評価方法——これらについて学校単位で議論できる環境を作っていくことが、今後必要になると感じています。
よくある質問:教師が Claude Code を使うことへの疑問に答える
Q. 生徒に「先生もAIを使っているの?」と聞かれたらどう答えますか?
正直に「使っている」と答えています。「先生もワークシートを作るときに参考にしている。でも問いの意図や、みんなに何を考えてほしいかは、先生が考えている」という説明をしています。これが生徒の「使い方のモデル」になると思っているので、隠すより見せる方が良いと判断しています。「先生も使い方を工夫しながら使っている」という姿を見せることで、生徒が「道具として賢く使う」ことの参考になればとも思っています。
Q. フィードバックコメントをAIで作ることへの罪悪感はありますか?
最初はありました。「コメントは自分で書くべき」という感覚です。でも今は、「生徒一人ひとりに的確なフィードバックを届けること」が目的であって、そのプロセスで AI を使うことは手段の問題だと整理しています。最終的に内容を判断して承認するのは自分なので、責任は変わらないと考えています。また、Claude Code を使うことで後半の生徒へのコメントが手を抜かれなくなったのであれば、むしろ生徒への公平さという意味でプラスだという見方もできます。
Q. Claude Code の使用を学校として認めていますか?
個人的な判断で使っています。学校としての方針はまだ定まっていません。これは多くの学校で同じ状況ではないかと思います。文部科学省からのガイドラインも少しずつ出てきてはいますが、現場レベルでの具体的な対応はこれからという印象です。議論が必要なタイミングは近いうちに来るでしょう。
Q. 教材研究の質は下がりましたか?
下がっていないと感じています。むしろ、教材研究に充てる時間を確保しやすくなりました。フィードバック作業に追われる時間が減ったぶん、じっくり文章を読む時間が増えた感覚があります。ただし、「Claude Code に教材分析を任せて、自分でじっくり読まない」という使い方をしたら、質は下がるだろうと思います。教材研究の中心は自分の読みであって、Claude Code はその補助であるという位置づけを保つことが大事です。
Q. 他の先生に勧めていますか?
聞かれたら話す、というスタンスです。積極的には勧めていません。どう使うかは仕事の価値観に関わる部分があるので、「これを使えば良くなる」と言えるほど確信を持てていないのが正直なところです。ただ、フィードバック作業で疲弊している先生には「一度試してみて」と言えます。業務の中で「繰り返し発生する、時間がかかる、でも一定のパターンがある作業」があれば、それが使い始めるのに最適な場面です。
Q. 国語以外の教科の先生にも参考になりますか?
なると思います。フィードバックの作成やワークシートの問い設計は教科を選びません。理科・数学の先生なら「この問題の解法を生徒が間違えやすいポイントを整理して」という使い方、社会科の先生なら「この時代について生徒が混乱しやすい概念を整理して」という使い方が考えられます。教科の違いより、「繰り返し発生する準備作業の効率化」という観点での活用が、どの教科にも共通して有効だと思います。
Q. 授業中にリアルタイムで使えますか?
タブレットやパソコンが手元にある授業では使えます。ただし、授業中は生徒と向き合うことが優先なので、私は授業中にほとんど使っていません。準備段階での使用が中心です。生徒の突然の質問に答えるために授業中に使う、という場面は今のところほとんどありません。
まとめ:教師にとっての Claude Code は「余白を作る道具」
1年使ってわかったことを、最後にまとめます。
Claude Code が最も役立ったのは、「繰り返し発生する、でも個別対応が必要な作業」のサポートです。フィードバックコメント、ワークシートの問い設計、授業構成の叩き台——これらは毎週発生して、それぞれに個別の判断が必要で、でも同時にパターン化できる部分もある。そこに Claude Code は良くフィットしました。
教材研究や、生徒との直接のやり取りには、Claude Code は入り込めない(入れない)と感じています。これは限界ではなくて、「教師の仕事の本質は、AIが入れない部分にある」という見方をしています。
時間が作れるようになったことで、授業後に生徒と話せる時間が少し増えました。廊下での立ち話、授業の感想を聞くこと、悩んでいる様子の生徒に声をかけること——そういう「余白」が教育では大事で、Claude Code はその余白を少し広げてくれたと思っています。
教師という仕事は、効率化になじまない部分と、効率化すべき部分の両方があります。前者を守りながら後者を効率化することが、AI時代の教師の働き方として一つのモデルになれるかもしれない、と思っています。この記事が、同じ悩みを持つ教員の方の参考に少しでもなれば、書いた意味があります。
具体的な使い方の実例:授業ごとの活用パターン
抽象的な話が続いたので、より具体的な使い方の例を書いておきます。実際に授業の中で Claude Code をどう組み込んでいるかのパターンです。
現代文の授業前:教材の「罠」を洗い出す
新しい教材を授業で扱う前に、「この文章を初めて読む高校生が、誤読しやすい箇所を5つ挙げて」と Claude Code に依頼します。自分が読むと「当たり前にわかる」箇所も、初読の生徒にはつまずきポイントになることがある。これを授業前に意識できると、説明の重点が変わります。
また、「この評論で使われている専門用語を抽出して、高校生向けの平易な言い換えを作って」という使い方もしています。授業中に生徒から「この言葉どういう意味ですか」という質問が来る前に、板書に入れておくための準備です。
古典の授業:現代語訳と解説の補助
古文・漢文の授業では、「この文章の現代語訳の候補を3パターン作って。ニュアンスの違いも解説して」という使い方をしています。教師として「正しい訳」はわかっていますが、「なぜこの訳が良いか」を説明するための「比較対象」として、別パターンを持っておくと授業が豊かになります。
生徒が誤訳しやすいパターンを Claude Code に予測してもらい、「よくある間違いを正す」という展開を授業に組み込むこともあります。これにより、生徒が「自分が引っかかりそうだったミス」を体験的に学べます。
作文・小論文指導:ルーブリックの作成
作文や小論文の評価基準(ルーブリック)を、毎回ゼロから作るのは手間がかかります。Claude Code に「高校3年生の小論文を評価するルーブリックを作って。評価観点は『論の構造』『根拠の具体性』『表現の明確さ』の3つで、それぞれ4段階で」と指示すると、たたき台が数分で出てきます。そこを手直しして使います。
ルーブリックを生徒に事前に共有する授業設計をしている場合、ルーブリック作成の時間が短縮されることで、「いつでも配布できる状態」を維持しやすくなります。
使い始めてから変わった「仕事への向き合い方」
Claude Code を使い始めて、仕事の向き合い方が変わった部分があります。これは予想していなかった変化でした。
以前は、「授業準備に時間をかけることが誠実さの証明」という感覚が少しありました。フィードバックに3時間かけることが、生徒への誠意だという感覚です。これが変わってきました。
今は「生徒に届く質のアウトプットを、持続可能な形で出し続けること」が誠実さだと考えるようになりました。3時間かけて疲弊しながら書いた35人分のコメントより、1時間で書いた35人分の充実したコメントの方が、生徒にとって価値がある。道具を使うことへの罪悪感が薄れたのは、この価値観の変化によるものだと思います。
教員の働き方改革が言われる中で、「どうやって時間を減らすか」という議論が多いですが、「どうやって同じ時間でより良いものを出すか」という発想も重要だと感じています。Claude Code は後者の手段として、自分の仕事に組み込まれつつあります。
保護者対応への活用:想定外の使い道
当初は想定していませんでしたが、保護者向けの文書作成にも Claude Code を使うようになりました。学年通信、行事のお知らせ、個別の相談への書面回答——これらは教師の仕事の中で意外と時間がかかる作業です。
特に効果的だったのは、「デリケートな内容を含む保護者向け文書」の作成です。いじめに関する報告、成績面での懸念の伝え方、進路相談への文書回答——これらは言葉選びが難しく、以前は1通の手紙に1時間以上かけることもありました。
今は Claude Code に「この状況を保護者に伝える手紙を書きたい。誠実に、でも過度に不安を煽らないトーンで」と依頼して叩き台を作ってもらい、そこに具体的な内容と自分の言葉を加えます。以前の3分の1程度の時間で書けるようになりました。
保護者対応はメンタル的な負荷も高い仕事です。「どう書けば伝わるか」を一人で悩む時間が減っただけで、その日の仕事全体への影響が小さくありません。教師の仕事には、こういった「文章での関係構築」が多く含まれていることに改めて気づかされました。ここで節約できた時間と精神的なエネルギーが、授業準備や生徒との直接のやり取りに回せる余裕を少しずつ生み出してくれています。教師の仕事全体を見渡したとき、Claude Code が入れる場所と入れない場所の輪郭が、1年間の使用を通じてようやく見えてきた気がします。