Claude Codeを使い始めて半年以上経ったとき、「これって本当に自分に合ってるのか」と思う場面がありました。使いすぎているのか、依存しているのか、それとも正しく使えているのか。自分ではよくわからなくなっていました。
そこで、1週間完全に使うのをやめてみることにしました。仕事でどうしても必要な場面でも使わない、という縛りです。以下はその記録です。
月曜日:「これくらい自分でできる」
初日は意外と平気でした。「そもそもClaude Codeなしでやってきたんだし」という感覚です。
メールの返信は自分で書きました。5分かかりました。Claude Codeを使えば2分で叩き台が出るところ。でも「自分で考えて書く」プロセスは悪くない感じがしました。
夕方にExcelの集計作業が入りました。ここで少し手が止まりました。以前なら「Claude Codeに任せれば10分」という感覚だったものを、自分で数式を組んで30分かけました。「できなくなっていたわけではない。ただ遅くなっていた」という発見がありました。
火曜日:調べ物に時間がかかった
競合他社の動向をまとめる作業がありました。以前はClaude Codeに「A社の最近の動きを調べてまとめて」と指示して、自分は確認と追記だけしていました。
この日は自分でGoogle検索して、記事を5本読んで、メモをまとめました。1時間以上かかりました。
内容の深さは自分でやった方が深かった気がします。記事を一本ずつ読んでいる間に「あ、これはClaude Codeが拾わないタイプの情報だな」と感じるものもありました。ただ、この作業を毎日やるとしたらどう考えても続かないとも思いました。
水曜日:コードのエラーで詰まった
水曜日が最もきつかったです。
WordPressのカスタマイズ作業でエラーが出ました。以前ならエラーメッセージをそのまま貼り付けて解決していたところを、Googleで検索してStack Overflowの英語の回答を読んで、試して、また失敗して、という作業が1時間半続きました。
結局解決はしましたが、「これはClaude Codeがあれば15分で終わっていた」と思うと、なかなか複雑な気持ちでした。
「自分でできる」と「効率的にできる」は別だということを改めて実感しました。
木曜日・金曜日:慣れてきたが「速度の差」は埋まらない
後半になると「Claude Codeなしの仕事のペース」に慣れてきました。以前のやり方を思い出しながら作業できるようになりました。
ただし速度は明らかに落ちていました。金曜日の時点で、木曜日までの積み残しが通常より多い状態でした。
「できなくはないが、明らかに遅い」——これが1週間通じての結論でした。
週末の振り返り:わかったこと3つ
Claude Codeに頼っていたのはサボりではなく合理的な選択だった
「依存しているのかもしれない」という疑念が実験の動機でしたが、使わない1週間を経て、「依存」という言葉の意味を少し修正しました。
電卓に依存することが計算サボりではないように、Claude Codeを使うことが思考のサボりというわけではありませんでした。速く正確に作業を進めるための合理的な選択でした。
「自分でできる基礎」は残っていた
最も心配していたのは「使いすぎて自分の力が落ちているのではないか」でした。でも実際にやってみると、時間はかかっても基本的な作業は自分でできました。「Claude Codeがないと何もできない」という状態にはなっていませんでした。
少し安心しました。
使うことの価値が具体的にわかった
使わない期間を経て、「Claude Codeが担ってくれていた時間は何時間だったか」が体感で明確になりました。抽象的に「便利」と思っていたものが、「週に8〜10時間分の作業」として認識できました。
この数字を持って戻ってきてからの方が、使い方が意識的になりました。「何時間のために月3,000円払っている」という具体的な感覚は、続ける動機を再確認させてくれました。
実験を終えて戻ってきたとき
月曜日に「また使っていいよ」と決めた瞬間、最初にやったのはエラー対処でした。積み残していた作業が待っていたからです。
エラーメッセージを貼り付けて、30秒で解決策が返ってきたとき、「ああ、これだ」と思いました。
1週間のブランクを経て戻ってきたClaude Codeは、以前より少し丁寧に使うようになった気がします。「あって当然」から「あることに感謝できるもの」になりました。たまに使わない時間を作ることは、悪くない習慣かもしれません。